3月はあわただしかった。
震災から20日程過ぎた。
震災の際には我々家族は世田谷で渋滞中の車で震度5強、
車のラジオでアナウンサーが
「地震のようですねぇ〜、揺れてますね〜、おっ、とても激しい揺れに
なってきました充分お気お付け下さい!」道がたわむ様に見え、電柱がワイパーの様に揺れ、次男がおもわず
「絶対ヤバいでこれ!アトラクションみたいやん!!」
大渋滞の中、次男をアパートに帰し、唯一通行止めになっていない中央道国立府中に深夜1時に乗り東京脱出!
深夜、長野に入って間もなくラジオの地震警報音が鳴る。
「長野県、新潟県にお住まいの方、直ちに安全な場所に避難して下さい。。!」
「な、長野って俺達今走ってるとこやん・・」
前を走るトラックが急に減速した。。。
あきらかに揺れている・・・・・
長野北部は震度6強、長野東部をぼくたちは運転中だった。
「なんか、揺れとんなぁ〜今・・」
震度5程の揺れの中、恐る、恐る車を走らせた。
後日、ニュースで福島原発放射能の影響で東京では水が売り場から消えたと聞き、
またまた東京に行く用があったので、
四日市でミネラルウォーターを買って多摩川近辺に住む次男(正確には川崎)
のアパートに置いてきた。
四日市でもまとまった水を買うのに少し苦労したが
東京ではコンビニ、スーパーから見事に水が消えていてマジ驚いたが、
夜にカミさんと居酒屋で一杯、水道水のお冷もだされるし、
料理にも水道水使われてるし、普通に水道水飲むし、
「ええ大人がそんな気にしたらあかんでぇ・・何を仇のように買いしめまくっとんねん!」
って改めておもったのである。
TV,ラジオの報道で深刻なニュースが伝えられる中、
ボクのところにも震災で工場がダメになった同業者の仕事や、
震災地に送る寄せ書き用の幕など震災関係の仕事が今も続いている。
次男は10日間ほど帰ってきていたが部活が始まるので東京に帰っていった。
関東の夏場は計画停電があるからきっついやろなぁ!!
本当にがんばって下さい!被災者のみなさん!